もとやま てきしゅう
明治33年山陽新報に入社し、記者生活を送りながら、しばしば同紙上に連載小説を書いた。与謝野寛主宰の「明星」同人となり、地元でも同人誌「星光」「白虹」などを発行する。のち上京して、二六新報、報知新聞、読売新聞などの記者をつづける。
記者生活のかたわら、『名人畸人』『日蓮』『近世数奇伝』『近世剣客伝』など発表、文名を高めた。大正15年には雑誌「大衆文芸」の創立にも参画する。
料理にも造詣が深く、記者として料理記事を担当した縁もあって、東京京橋に「蔦屋」を開店。みずから板前として腕をふるい、食通に喜ばれた。食文化の研究、考証に力を注ぎ、『舌の虫干し』『飲食系図』『荻舟食談』『飲食日本史』など多くの名著を残した。その集大成である『飲食事典』は、没後の発刊となった。