つなしま りょうせん(本名:栄一郎)
明治19年、有漢村知新小学校卒業後、同校助教。23年キリスト教の洗礼を受け、25年東京専門学校(現早稲田大学)に学ぶ。坪内逍遥、大西祝の影響を受ける。28年同校文科を卒業後、「早稲田文学」の編集に従事する。文筆に親しむようになってから、少年の日を過ごした郷里の高梁川から、梁川と号した。
29年喀血し以後療養生活を送る中で、独自の宗教思想を打ち立てる。その軌跡でもある著書「病間録」「回光録」は、宗教的自覚に関する論考および感想を集成したもので、世に大いに迎えられ、とりわけ青年たちに情熱的な宗教思想上の影響力を持った。社会問題に目を向けた著書「労働と人生」は絶筆となった。