おおたに へきうんきょ(本名:浩(こう))
東京美術学校洋画科卒業、中外商業新報(日本経済新聞の前身)に入社し、昭和12年取締役となる。俳句は明治の末頃から渡辺水巴に師事、以来「曲水」の重鎮として後進の指導にあたり、21年水巴の没後「曲水」の主宰となる。また、戦後の短期間ではあったが出身地である津山市に疎開して、「柿」「盆地」を創刊して指導にあたった。