あかし かいじん
商業高校卒業後、画家を志して上京。昭和2年東大病院で発病の宣告を受け、昭和3年私立明石療養所に入り、7年明石療養所の閉鎖に伴い、療友20数人と共に邑久町虫明の長島愛生園に入所。昭和13年短歌研究社の新人賞に応募して、「癩」50首が入選、歌壇に地歩を固める。昭和14年歌集「白猫」は世の絶賛を受けた。